ビジュアルノベル『ゆらぎ』配信開始のお知らせ
ビジュアルノベル『ゆらぎ』を公開しました。
ふりーむ、BOOTHの両サイトにて無料で配信しています。
本作は、15~20分程の現代怪談を3篇収録した短編集となっています。
タイトルは以下の通りです。
・視つめられる
・山中の女
・不必要なもの
全年齢の作品ですので、どなたもお気軽にプレイしていただければ幸いです。
また、些事ではありますが、本作の公開に伴って名義を変更しました。
これまでの「リラ」から「二見鏡矢」へ変更します。
よろしくお願いします。
さて、何はともあれ今回の制作もなんとか一段落しました。
これでようやく腰を据えてゲームに集中することができます。
ここ一か月半くらいは全く触れていなかったので、いま途轍もない禁断症状に見舞われています。
まずは、ps5の『returnal』というタイトルをプレイしようと思っています。
こちらは、フィンランドのデベロッパ Housemarque が開発したローグライクのTPSです。
話によるとなかなか難しい作品のようですので、今からすごく楽しみにしています。
制作中に緩みきってしまったこの心を、しばらく立ち直れないくらい滅茶苦茶に破壊してもらえたら嬉しいです。
そんな被虐欲に胸を満たしつつ、今回はこの辺りで終わろうと思います。
ありがとうございました。
『ゆらぎ』をよろしくお願いします。
1200年密室伝説とps5
コミティア134が終わって2週間ほど経ちました。
改めて、作品を手に取ってくださった方、スペースにお越しくださった方、ありがとうございました。
僕にとってはこれが初めてのサークル参加で、とにかく緊張していたのですが、この苦しい情勢のなか、創作に情熱を傾ける皆さんの姿を見ているうちに、何だかすごく気分が良くなっていました。
サークル側の人たちも一般参加者側の人たちも、マスク越しでも分かるくらい生き生きとした表情をしていて、こういう気持ちに垣根はないんだなあと、しみじみ思いました。
イベントというのは本当に素敵な場所ですね。
僕もこれからずっと何かを作り続けて、この輝かしい空間の片隅に自分の居場所を作れたらいいな、とそんなことを思っています。
今後も無理せず、ほどほどに頑張っていきます。
さて、話は変わって、最近清涼院流水さんの『コズミック』という本を読みました。
これは、講談社が行っているメフィスト賞という賞の第2回受賞作だそうです。
この『コズミック』という作品は、かねてより、なかなか一筋縄ではいかない作品だと耳にしていて、長い間気になっていました。
これまで触れる機会がなかったのですが、今回ふと思い出して手に取ってみました。
そしてこの作品の原題が、標題の『1200年密室伝説』という訳です。
そこに書かれていた内容は、聞いていた通り途轍もないものでした。
物語は、1994年1月1日午前0時1分、密室卿という人物から警察、マスコミ各社、JDC(日本探偵倶楽部という日本中のエリート探偵が所属する架空の組織)宛てに「犯罪予告状」と記されたFAXが届くところから始まります。
その内容はこうです。
「今年、1200個の密室で、1200人が殺される。誰にも止めることはできない」
最初の犯行はこの直後、京都の平安神宮で、3万人の初詣客のなか行われます。
それから毎日最低3人ずつ、被害者は全国各地のあらゆる密室で首を切断され、背中に被害者自身の血液で「密室〇」(〇は被害者の順番を表す大字――単純な字形の漢数字の代わりに用いる漢字――)と記された状態で発見されます。
果たして犯人は、どうやってこれらの密室殺人を成しているのか、またどういう意図でこれだけたくさんの人間を殺害するのか、そしてその犯人、密室卿とはいったい何者なのか――。
この恐ろしい大犯罪に、先述のエリート探偵たちが挑んでいきます。
とまあ大体こんな話なのですが、僕はこの導入に触れただけですぐにやられてしまいました。
ネタばれになるので詳しくは書けませんが、たくさんの探偵が登場し推理が始まる中盤以降は本当に目が離せなくなります。
特に終盤辺り、解決へと向かう展開は凄まじいもので、この作品に賛否があるというのも大いに頷けます。
これに憤りを覚える読者がいるのも仕方ないことでしょう。
ある人の言葉を借りれば「良くも悪くも壊れている」といったところです。
とはいえ、この『コズミック』という本がとんでもない作品であることは間違いありません。
それが良いにしろ、悪いにしろ、読んだ人の心を激しく揺り動かすのは確かだと思います。
ぜひ一読してみてはいかがでしょうか。
さて、さらに話は変わりまして、ps5です。
実は先日行われたヨドバシカメラの2回目の抽選で、僕はこれを運よく手に入れることができました。
通常版の最終倍率は確か57倍だった筈ですので、約1.75%の狭き門を突破したことになります。
ほとんど奇跡みたいなものですね。
僕のゲームへの愛が神様に伝わったのかもしれません。
とにかく当たってよかったです。
しばらくプレイしてみた感想ですが、まず第一に大きいです。
この辺のことは発売前からしきりに言われていましたが、まさしくその通りで、設置してみたところ駅前の自販機とピッタリ同じサイズでした。
ですが、その静音性たるや凄まじいものです。
顔を近づけなければ、ファンの音はほとんど聞こえません。
僕はモニタのすぐ隣に置いているので、かなり近い方だと思いますが、それでもそんな感じです。
多くの人は大きいテレビの近くに置いて、ある程度離れたところからプレイすると思いますので、これについてはまず気になることはないと思います。
次にコントローラーです。
こちらも進化が著しく、振動の細かさやトリガーを引いた時の抵抗の変化がとても面白いです。
よく言われるように、金属の床と草むらの違いや弓を引き絞る際の手応えなどが、驚くべき精度で表現されています。
ただし、これらはコントローラーの性能だけで実現されている訳ではありません。
こちらはあまり言及されませんが、音が重要な役割を果たしています。
例えば金属の床なら、甲高い音とノックするようなごく短い振動、弓を引く時なら、トリガーの重い抵抗に加え、最後まで引き絞った際のキリキリという軋みの音と小刻みな振動、これらが上手く噛み合ってそれらしい感覚を生み出すのです。
トリガー、振動、音、これらすべてが重要で、どれか一つでも欠けてしまえば、これほどのリアリティは表現できないと思います。
それから、評判通りロードも早いです。
ps5向けに作られたゲームであれば何をするにもほとんど待ち時間がありません。
ps4のゲームに関しても、ソフトによりますが、大体どれも早くなっています。
早いものだと、誇張なく1/10くらいになっていると思います。
さらに、フレームレートやグラフィックの向上に対応しているタイトルもあります。
試しに『SEKIRO』をプレイしてみましたが、バッチリ高フレームレートになっていました。
最高です。
ただここまで話しておきながら、実はps5のプレイ時間はかなり少なめです。
というのも、ps5で動かすと不具合の出るソフトの中に、プレイしたいゲームが一つ含まれていて、先にそちらに手を付けているためです。
まさかps5がこれ程早く手に入るとは思っていなかったので、こればっかりは仕方ありません。
で、そのゲームというのが『THE SURGE』というタイトルです。
このゲームは端的に言うと、SFダークソウルです。
デモンズソウルやダークソウルがヒットして以降、山ほど作られた、いわゆるソウルライクと呼ばれるものの一つです。
そしてこのゲームに関して、僕は確信を持って言えることがあります。
それは「これを最後までクリアした日本人女性はいない」ということです。
このゲームには、繊細さなどというものは欠片もありません。
ひたすら無骨で、鉄と油の匂いが充満しているだけです。
例えば、ゲーム内にはコアパワーというレベルのようなパラメータがありますが、これを上げても主人公自身が強くなるということは一切ありません。
主人公が装備している、リグと呼ばれる強化外骨格の出力が上がるだけです。
もちろん主人公の肉体を強くすることもできますが、その方法は、様々な特性を持ったインプラントというアイテムを体に埋め込んで無理矢理能力を引き上げるというものです。
回復についても、何かを食べるとか飲むとかではなく、外骨格から直接体内に治癒物質を流し込まれます。
そもそも主人公の外見が凄いです。
最初に行われる手術の結果、頭の一部分が禿げあがっています。
こんな設定と見た目ですから、まず女性は手に取らないと思います。
仮に始めたとしても最後まではプレイしないでしょう。
ただ決して悪い作品ではありません。
マップも良くできていますし、戦闘や設定も硬派でなかなか面白いです。
装備のビジュアルも格好良くて大好きです。
人に勧められるかといえば、何とも言えませんが、少なくとも僕は楽しめています。
まだ途中ですので、最後まできっちりプレイしたいと思います。
――と、気づけばとりとめのない話をダラダラと続けてしまいました。
要は、自作ゲームの開発が一段落して、長い間できていなかったことに目を向けられるようになった、ということを伝えたかったのです。
その気持ちが溢れてしまいました。
ごめんなさい。
取り敢えず今後しばらくは、こうして色々なものを摂取していこうと思います。
そして、この先作っていくものにそれらを上手く繋げていくことができれば、とそう考えています。
COMITIA134に参加します
2020年11月23日(月/祝)開催のCOMITIA134で、現在開発中のビジュアルノベル『虚無に揺蕩う祷り』を頒布します。
スペースNo.:く03b
価格は500円です。
windws専用となっていますのでご注意ください。
作品についての詳細はこちら↓↓
現在の開発進行度は99%ほどです。
完成が近づいてきましたが、最後まで気を抜かずに精一杯取り組みたいと思います。
それでは、当日【く03b 憑霊】でお待ちしています。
よろしくお願いします。
帰る場所
最近実家に帰りました。
とかなんとかこのご時世に言ってると一族郎党皆殺しにされかねませんね。
ただ、ここでお話しするのは肉体の帰省ではなく魂の帰省です。
つまり何が言いたいのかというと、ダークソウルⅢを久しぶりにプレイした、ということです。
以前本編をクリアした際、力尽きて攻略しきれなかったDLCエリアにようやく足を踏み入れました。
そして今回約一年ぶりのプレイになるのですが、ゲームをスタートした瞬間、ある強い感情が持上がりました。
それが冒頭の、実家に帰った、という思いです。
と言うのも、ただ画面を眺めているだけでキャラクターの動かし方や各エリアの繋がりなどが瞬時に蘇って来るのです。
この感覚はまさしく実家です。
自身が生まれ育った家で、お風呂ってどこだったけな、なんて考えることはありませんよね。
幼い頃初めてゲームに触れて以来、今日に至るまで様々な素晴らしいゲームに出会ってきましたが、こういう感覚を得られる作品はほとんどありません。
どれだけ居心地が良くても、時が経てば大抵の記憶は薄れてしまうものです。
そしてそれは故郷にはなり得ません。
僕はゲームをやり込むということはしませんし、ソウルシリーズにしても全て一周ずつしかしてませんので、隅々まで堪能してるファンからしてみればこんな話は一笑に付すようなものでしょう。
ですが僕のこのゲームへの愛は確かなものです。
今回挑戦したDLCエリアに関しても、ステージの構造やギミック、ボス戦の緊張感、そしてそこに見え隠れする物語、どれをとっても最高の体験でした。
どれだけ素晴らしかったかというと、クリア直後に未プレイだったブラッドボーンのDLCを購入し、更にまた本編を最初からプレイし直すくらいでした。
当然のことながらこちらも面白かったです。
ついでに言うと昨年末にプレイしたセキロも恐ろしいほど胸躍る作品でした。
国の学習指導要領が改訂されて、これが突然義務教育に組み込まれたとしても何ら驚きません。
ともあれ、ソウル、ブラボ、セキロ、これらどの世界も僕にとっては本当に安らげる魂の実家です。
そして現在開発中のエルデンリングもきっとこの中に加わるのでしょう。
僕の帰る場所は今も尚果てのない広がりを見せています。
これは本当に喜ばしいことです。
今後が楽しみでなりません。
『虚無に揺蕩う祷り』頒布延期について
お久しぶりです。リラです。
表題の通り、現在制作中のヴィジュアルノベル『虚無に揺蕩う祷り』の頒布を延期します。申し訳ありません。
現在の開発進行度は70%程です。
変更後の頒布時期は未定ですが、なるべく早い完成を目指して制作を進めていきます。
よろしくお願いします。
話は変わりまして、先日今村夏子さんの『むらさきのスカートの女』という本を読みました。
こちらは2019年上半期の芥川賞受賞作ということですが、結果だけ言うと大変面白かったです。
村田沙耶香さんの『コンビニ人間』という本を読んだ時にも思いましたが、僕は「女の人が描いたイかれた女」みたいなものが好きなのかもしれません。
どちらの作品も主人公の危うさに終始ドキドキしながらページをめくっていました。この感覚がどうにも心地良いのです。
こういった作品に出て来る頭のおかしい人物たちは、一見して誰にでも簡単に描けそうに見えます。ですが当然そんなことはありません。
例えば、紙面(ノベルゲームで言えば画面)いっぱいに「あはは」だの「ひひひ」だのと文字を書き連ねたところで恐ろしさは全く出ません。
そもそも何ひとつ面白くないですし、厚さ3ナノメートルくらいの薄っぺらい人物像ができあがるだけです。
それならとにかく滅茶苦茶な行動をとらせまくったるわいと鼻息を荒くしても、やっぱりそれぞれが3ナノメートルなので、それらをいくら積み重ねたところでミリメートルはおろか、マイクロメートルすら遥か彼方です。
あの全身の穴という穴から滲みだすような気味の悪さを描き切るのは並大抵のことではないのです。
そしてこれらと似たようなことは、どんな人物を生み出す際にも当てはまると思います。
優しい人なら優しい人なりの、短気な人なら短気な人なりの実存を伴った描き方がきっとあるはずです。
共通して大切なことは、その人々のそれまでの人生としっかり向き合うことなんじゃないかと僕は考えています。
これが正しくできれば確かな肉体を持った人間がそこに生み出されるような気がします。
成せた経験がないので合ってるかどうかはわかりません。勝手にそう信じているだけです。
何はともあれ、僕も素敵な人間を描けるように日々精進していきたいと思います。
目下はやっぱりカワイイ女の子!
悪夢の地平、狼の先触れ
ps4用ARPG『Bloodborne』をクリアしました。大変素晴らしい作品だった、というのが率直な感想です。
この系譜の作品は、これまでに『Demon's Souls』『DARK SOULS』『DARK SOULSⅡ』の3作品をプレイしていて、どれも思い出深い体験として記憶の襞に刻み込まれいてます。
ならばなぜ今頃になって(発売は2015年3月26日)これをプレイしたかと言うと、そもそも『Demon's Souls』をプレイしたのが発売から随分経った後だったというのもありますが、何よりこれらのゲーム、とんでもないくらいに体力と精神力、そして人間性を奪い去っていくのです。
『Demon's Souls』と『DARK SOULS』の間は1年以上開いていますし、その後も同じく1年以上経っています。
『Bloodborne』との間隔は約半年程と比較的短いですが、それでやはり半年は経っています。
それだけ色々なものを消費してしまうのです。
近頃のFROMSOFTWARE製アクションゲームと言えば高難易度で有名ですが、この『Bloodborne』もその例に違わず甚だ難しい作品となっていました。
僕のような決して上手とは言えないプレイヤーにとっては、殆ど地獄と言えます。
ただそれでも続けてしまうのは、そんな地獄の中にも一筋の光が確かに灯っていて、「あのアイテムを使えば行けるかも」とか「あれをこうすれば打開できるんじゃないか」というような希望が寂然と残されているのです。
僕の場合そういったものが夢にまで出てきました。
ですが、それを実行すると不思議なことに先に進めるということが間々あります。
これは何でかよく分かりません。
ただ、そんな戦略性の高さ(や天啓のようなもの)のおかげもあって、先へ先へ進むことができるのです。
その他にも、物語や世界観が途轍もなく魅力的ということが挙げられます。
これは僕にとって何よりもモチベーションに繋がります。
この地で何があったのか。
自らが繰るこの主人公の運命は何処へ向かうのか。
それを知りたいが故に、敵に滅茶苦茶に蹂躙されて尚、自然とコントローラーに手が伸びてしまいます。
ゲーム性については散々語られていると思いますので、今回はこの辺りに少し触れようと思います。
とは言え物語そのものには触れません。
物語の“見せ方”について記していきます。
ソウルシリーズに共通することも沢山ありますが、今回は『Bloodborne』のみを視界に収めることにします。
さて、ゲームの物語を追う時、僕たちは何を主軸にしているでしょうか。
それは恐らく要所要所で挟まれるムービーであったり、登場人物たちの会話であったり、その辺りが主だと思います。
ですが、『Bloodborne』にはそれらが殆どありません。
タイトル画面からゲームをスタートすると、1,2分程の簡単な(本当に簡単な!)ムービーが流れ、その世界に放り出されます。
やがて最初の死が訪れ、再度簡単なムービーが流れ拠点となる地に転送されます。
しかし、ここでもNPCは殆ど何も語らず何かを仄めかすようなことを二言三言述べるのみです。
そしてこの先もこれが延々と続くのです。
最初のボスもムービーはなんてものは当然のように存在せず、突然襲い掛かられます。
倒した後も何もありません。
ただ一つアイテムを残して消えてしまいます。
ならば最後はどうかというと、これはルートによって変わってきますが、僕の到達したエンディングでは、ラスボスの始まりと終わりに簡素なムービーが流れ、エンディングロールが始まり、そして最後の最後に約30秒程の映像と共に登場人物が一言ボソッと喋って終わります。
その後はタイトル画面に戻ることもなく2週目が始まります。
勿論そこで何かが語られるということはありません。
ただ単に敵が異常に強くなった世界に再度放り出されるというだけです。
これだけ聞くと物語なんて無いじゃないかと思うかもしれません。
では、どうやって物語を構築しているのか。
その答えは、アイテムにあります。
世界に散らばる、またはボスが持っているアイテムには使い道や効果と共にフレーバーテキストが記されています。
難解なことが書かれている場合もありますが、これらが世界の姿や物語を読み解く大きな鍵になります。
例として一つ引用してみます。
彼方への呼びかけ
医療教会上層「聖歌隊」の秘儀の1つ
かつて医療教会は、精霊を媒介に高次元暗黒に接触し遥か彼方の星界への交信を試み、しかし全てが徒労に終わった
すなわちこれは失敗作だが、儀式は星の小爆発を共ない「聖歌隊」の特別な力となった。まこと失敗は成功の母である
と、このようなテキストが無数に存在します。
つまり性質上、これらを読まなければ殆ど何一つ解らないままエンディングを迎えてしまうわけです。
これが良いか悪いかは意見が分かれるところだと思いますが、ただ何も解らなければよすがとなる何かを見出そうとするのが多くの人の感性ではないでしょうか。
ならば物語への関わりをプレイヤーに委ねるこの方法は、殆ど何も説明しないからこそ有効になってくるのです。
本能的な感性に突き動かされながら得る、自ら物語を読み解いたという達成感。
そんな受動的な能動こそがこの“見せ方”の根幹であり、ゲームシステムも然る事ながら人気を博している要因の一つなのだと思います。
事実、僕自身もこれらのゲームをプレイしているとき、信じられない程の興奮に飲み込まれています。
本筋では何も語らないというこの手法をテキスト主体のノベルゲームに応用することは困難かもしれませんが、構造や精神を巧く取り入れた作品ができたら面白いかなあ、なんてことも長らく思っています。
いつかできたらいいですね。
さて話が長くなりましたが、来る2019年3月22日、遂にFROMSOFTWAREの最新作『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』が発売されます。
僕はまだ『DARK SOULⅢ』をプレイしていませんので、こちらをプレイするのは随分先になってしまうかもしれませんが、非常に楽しみな作品です。
皆さんもこれらの作品をぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
精神衛生上の代償はあまりにも鴻大かもしれませんが、きっと何か感じるものがある筈だと僕は確信しています。
恐怖の大王
はじめまして。「憑霊」代表のリラです。
ブログを開設しました。
果たして書くようなことがあるのかどうか、それすらも杳として知れないのだけど、数々の先達に倣い取り敢えず開設してみました。
それはそれとして、僕は誰かに何かを伝えることがこの上なく苦手です。人に自分の何かを見せる、ということが堪らなく恐ろしいのです。
思い返せば、小学生のときから先生に課題のプリントを見せるのが嫌でした。回答済みならまだいいのだけど、途中のものを見られるのは本当に嫌で、見回りの先生が近くに来ると腕を翳して徐に紙面を隠していたことを記憶しています。それは恐らく稚拙だと思われることが、この程度もできないのかと見下されてしまうことが心の奥底で怖かったのだと思います。当然先生方はそんなこと思っていなかったでしょうから被害妄想も甚だしい話です。ただ、そういう精神を僕はここに至るまでずっと引きずっていたのです。
じゃあなんでそんな人間が同人ゲームサークルなんか立ち上たんだよ、と死ぬほど尻をシバかれそうですが、こんな僕にでも紡ぎたい物語があるのです。表現したい世界があるのです。そしてそれらは今、行く宛を持たぬまま亡霊のように僕の目の前を彷徨っています。けれど、それではその子たちがあまりにも不憫ではないですか。だから作ろうと思ったのです。
勿論それは稚拙なものかもしれませんし、鼻で笑われてしまうような代物かもしれません。だけどきっとそれでもいいのだと思います。僕はここ何年かで、ようやくそう思えるようになりました。人に何かを見てもらうのはきっと恐ろしいことではないのです。
とはいえ僕にとってはやっぱり怖いことなので結局は恐る恐るになってしまうと思うけれど、何とかその恐怖に抗って自分の中にある何かを、行き場をなくした亡霊たちを、この呪縛からゆっくりと開放してあげようと思います。
どうぞよろしくお願いします。